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寳池山明照寺について

明照寺の歴史

開基は1672(延宝元)年、永玄によると伝えられています。
しかし、1849(嘉永2)年に全焼したとのことで、詳しい史料などが消失してしまいました。
薩摩藩による念仏禁制に対する伝道拠点があったことから、当寺は薩摩藩教化の橋頭堡として建立されたのではないかと言われています。
明治以降は過疎寺院となっていますが、それまでは同じ木花地区にある西教寺とともに内海のあたりまで広く教化につとめていたと伝えられています。
本堂の老朽化が著しいため、門徒のみなさま総意の
もと新築し1998(平成10)年5月23日に落慶慶讃法要を勤修しました。

薬師堂について

地図で見ると明照寺の左横に薬師堂があります。
以前は明照寺の中に建っていましたが、区画整理の際に移動されました。
それより以前は明照寺の麓に池があり、そこに出た薬師山を移したと言われています。
何代目かの住職が漢方医をしていて、当時寺内の薬師山に薬師如来を祀ったと伝えきいています。
ちなみに、麓に池があったことから「寳池山」の山号となっています。

一般的な法要・法事・行事

中陰法要

亡くなった日から数えて七日目が初七日、その後一週間ごとに二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、四十九日とあり、それぞれを自宅やお寺でお参りします。
これを中陰法要と呼びます。
宮崎市では、初七日と四十九日をお勤めされる事が多いです。

永代経

永代経とは永代読経の略で、故人への追善供養の事ではありません。
浄土真宗のみ教えを子や孫の世代に永く伝えていけるようにお寺にご懇志を納め、読経をお願いすることをいいます。
故人の生涯のご苦労に対し、報恩感謝の心からお寺の続く限り永代にお経がつとまります。
そのためにお寺に納めるご懇志を永代経懇志といいます。

年忌法要

故人が亡くなって一年後の命日が一周忌です。
二年後が三回忌、六年後が七回忌となり、その後十三回忌、十七回忌、二十五回忌、三十三回忌、五十回忌と続き、以後は五十年毎になります。
地域によっては、二十三回忌や二十七回忌をつとめるところもあります。

報恩講法要

親鸞聖人の命日である1月16日に、聖人のご苦労やご遺徳を偲びつとまる法要です。
浄土真宗にとって最も大切な法要になります。
一般のお寺では、本山(西本願寺)に先がけてつとまる場合があり、お取り越し報恩講と呼ばれています。

彼岸法要

春秋の二季である三月の春分、九月の秋分を中心につとまります。
彼岸とは到彼岸の意で、迷いの世界である此の岸からさとりの彼の岸(浄土)に到るということです。
太陽が真西に沈む姿に、西方浄土に思いをよせつつ、その道を阿弥陀さまのお心を通して聞かせていただきます。

花まつり

四月八日に仏教を説かれたお釈迦さまの誕生日をお祝いする行事です。
お釈迦さまの出現により真実の教えが説かれたのですから、全仏教徒にとって大切な日と言えます。

宗祖降誕会

(しゅうそごうたんえ)と呼びます。
五月二十一日は親鸞聖人の誕生された日にあたり、その事をお祝いするおつとめです。

盆会

地域によっては七月盆と八月盆があります。
亡くなられた方のご恩を偲びつつ、家族や有縁の方々と共におつとめをし、阿弥陀さまの教えを聞く法座です。

除夜会・元旦会

十二月三十一日の夜に阿弥陀さまへの感謝と一年を締めくくる行事として除夜会があり、梵鐘をつくお寺もあります。
また、一月一日の新年を祝うとともに阿弥陀さまに年頭のお参りをし、願いの中に生かされる身上を喜び、心新たに仏恩報謝の生活を踏出す行事として元旦会がつとまります。

仏前結婚式

仏さまの前で行う結婚式です。
仏さまの前でお念仏とともに、新しい人生を二人で明るく強く生き抜くことをお誓いする儀式です。

初参式

子どもが生まれて、初めてお寺にお参りする儀式です。
子どもにとっての人生の始まりの仏縁であると同時に、親にとっても親として生きる出発点になります。

建碑式

お墓などが完成したときに行う儀式です。

入仏式

仏壇を新調されたりしてご本尊をご家庭にお迎えしたときに行う儀式です。